メコンの木霊(日記)

カオニャオ・デフの来日

カオニャオ・デフが来日した。ほとんどのデフメンバーははじめて靴をはき、自分のカバン(ほとんど借り物だけど)を持って出発した。来日目的であるワークショップとコラボレーションはたいへんみのり多いものだった。たいへんだったのは生活。ホテルはシングルでカードキー。カードキー自体初めての概念なので、いろいろトラブル。密閉された空間なので、一度入室してしまえば連絡を取りたくてもデフメンバーにはノックも、電話も意味が無い。プライバシー保護意識が強い日本では、外の人間が「何号室、開けてください。」と言っても開けていいわけがない。彼らは、時差も含め不慣れな時間に起きてロビー集合しなくてはならない。日本の聴覚障害者は特別の体感目覚ましをもっているが、彼らにそんなものはない。それぞれ考えた。備品のやわらかいスリッパに自分の携帯電話をいれバイブに設定しておでこに縛り付ける人。ひもを足の指につなぎ、先をドアの外に出しておく人。どちらも結局うまくいかなかったけど・・とにかく毎日大さわぎ。あ~楽しかった!!と彼らは言った。よかったよかった。私は眼の下にクマ。Img_5385

「寒い」という概念

 もうすぐラオスからカオニャオ・デフのメンバーが来日する。聴覚障害の彼らは、テレビ電話機能を使用するためにスマホを持っているメンバーが多いが、つい最近まで文盲だったので、データとしてものごとを受け取ることがまだできない。先日ラオスで、今回初めて飛行機というものに乗って海外にやってくる彼らに「日本は寒い」と伝えようと試みた。かれらの「寒い」は20度くらいが限度。「全然体験したこともない寒さを理解するのは無理。」というのが彼らの意見。昨年3月に来日している同じくデフのカムクンに説明させると「日本では、みんな風が身体に当たらないように努力してるようなんだ。」とますます意味不明。寒さだけではない。さまざまな概念を知らない彼らに伝えてゆくのは、とてもたいへん。一方でデータだけやたらみて理解した気分になっている我々と違い、すべてを実感として受け止めていこうとする彼らの姿勢に、目が覚める思いだ。

ラオス5 国立人形劇

 9年前まで、民間劇団はラオスに存在できなかったので、現在のカオニャオメンバーもみんな国立人形劇のすみっこで小さく活動していた。私にとっては、人形に目覚めた場所であり、なつかしい古巣のようなところ。今回、日本のデフパペットシアターのみなさんと交流訪問。Img_5361

 新しい人形をいたずらにちょっと触っていると、その動きは違う!!だの、もっと腰をいれろ!!だの、やんやのだめだし。おいおい、今日の客は私ではなくてデフパペのみなさんだよ。「なんだかつい昔に戻っちまう。」と言っていたが、実はお互いにとてもうれしかった。

ラオス4 ナンパトピック

 ケオは稀代のプレイボーイである。若い時分は際限なく、おっさんになった今でも、あっという間に世界中どこの方とでも「特別なお友達」になってしまう。数年前まではわたしもいちいち目くじらをたてていたが、年輪をかさね?スマートなご挨拶程度に昇華してきたので?最近は放置。逆にみごとな手管を聞いてみたくなる。

「最近はもっぱらヤギだな。」とのこと・・彼の家ではりっぱなヤギを複数育てている。じっと目を見て言うそうだ。「僕が作ったヤギ料理を一緒に食べよう。」マジか・・料理ってぶち殺すところも入っています。それで釣れるのか?「いいわ、すてきね。」といえる世界中のお嬢さんの勇気に合掌。Img_5275

ラオス3 どうやって表現するか

 現在進行中の企画は、「カオニャオ・デフ」の役者が上演するので、カオニャオメインキャストであるトーやケオは講師であり、演出家である。しかし二人は突然、自分たちが創っている作品に生演奏で参加し始めた。はっきり言って世界中で認知されている音楽能力というものがあるなら、彼らの能力はゼロである。ただこの3年ばかり日本との文化交流の中でさまざまな能力の高いミュージシャンたちと交流し、音に目覚めたようだ。Img_5285

 彼らが使う楽器、段ボール、バケツ、ひろった金属、ごみ箱からあさったこわれたピアニカetc・・ところがこの演奏がむちゃくちゃ面白い。人形劇の方を見学に来た方が、「音楽家」の方に興味を持ってしまうほどだった。普段、謙遜と言う概念を知らない彼らだが、さすがに音楽に関しては「いやいや、まだわからん。毎日手探り」と言う。毎日手探りなので、毎日変わり、毎日上昇する。いつものことながら、また衝撃を受けました。表現とは、道具や資金やある意味技能でさえない。

ラオス2 再会

1995年、ラオスに3カ月滞在し、子どもたちに身体表現を教えていた。そのころラオスは、大変貧しく、教育は荒廃しきっていた。ある日、雇われていたNGOの依頼で山奥の学校に上演に行った。道路が無く、車では無理で、舟やバイクを乗り継いで5~6時間つらい旅をした。首都に帰って3日後、ほこりまみれのこじきが訪ねてきた。よく見ると訪ねた村の学校の先生。「子どもたちの顔をみたかい?自分もあ~いうことをしたい。」という。ちょうど紙芝居の先生がワークショップを開いていたので参加してもらった。村には紙もマジックペンもない。それらをもらって帰って行った。Img_5283_2  1年後、気になって村に行った。すると母ちゃんの腰巻でつくった幕がかかったけこみができており、ひっかりながら幕が開くと、紙とマジックだけでつくった人形が上演をした。それでも子どもたちは、かぶりついて同じ演目を毎日見ていた。

 そして今回、トーが交流したい村がある。というので何も知らず車に乗った。たいして苦もなく1時間半でついた村。そこが前述の村だった。あれから20年以上、先生はずっとずっとこどもたちに表現教育をし続けた。山奥の小さな村。しかし、この村出身のこどもたちは、みんな唄か、踊りか、語りか、人形劇ができる。たった一人の芸能好きな先生が教えた数々の子どもたち。お金もモノもない村に10年ほど前にトー親子が指導に来て以来、人形は村の廃材でつくられるようになった。先生は教師こそ引退したが、いまでもこどもたちに表現活動を教えている。

ラオス1 友達になること

 日本のデフパペットシアターとラオスのろう者劇団「カオニャオ・デフ」が、お互いに研究しあい、コラボレーション作品を創作するために、今回は日本チームがラオス訪問。はじめて出会ったラオスと日本のデフ役者たち、手話が全然違うし、おかれている環境が全く違う。それなのにあっという間に「仲間」になり、ごはんのときも稽古の時も、もう混じっていてどっちかわからにほどだ。もともと全然ちがうが、特にオブジェクトシアターの手法がかなり違う。いきなりいっしょに3人遣いの人形を使うものだから、混乱する。Img_5353 ラオスデフ役者、身振り手振りでガンガン抗議する。日本チームも負けない。つまり仲良くなったといっても、同じになったわけではまったくなく、遠慮したり、相手をおだてたりするわけではない。それでも双方、とてもうれしい。「いいことも、わるいことも、いっしょにしたことがあるからもうずっと友達だよ。」とカムクンが言った。日本チームはそれを理解するのにすごく時間がかかり、忘れたころに「そ~だね。そ~だね。」とサインを送った。この歳になって、恥ずかしいが友達になるってそういうことかあ・・と思った。

2019年

あっという間にもう5日、お正月は某ホテル縁日で七味唐辛子を売っていた。ホテル宴会場インターンの学生さんといろいろお話。宴会場のお仕事は、頭も、気も、身体もフルに使い、かつけっこう長時間続くので、とてもたいへんなそうだ。実際、その現場にいるとたいへんさがよくわかる。Img_20190102_204327_1

 この年齢になると、猪突猛進というわけにはいかないし、年頭に光り輝く希望を持つわけでもない。しかし、日々新しい発見があり、課題も生まれる。今年もよろしくおねがいします。

アリとキリギリス

 ずっとキリギリス生活だったが、60歳をすぎて毎日、せっせと朝から晩までダブルで働いている。思い悩む隙もないので、淡々とそれはそれでよいように思う。来年は、さまざまな上演ツアーのプランがあり、楽しみだけど、今稼いでおかないとね。年末年始。休日なし。がんばります!!トーから「そんなら娘(まだ乳児)の靴かってこいや。」とリクエスト。孫にお年玉をあげるためにがんばるばあちゃんという構図に疑問はあるが・・・

監視カメラ

 家を出て、ふと見上げると監視カメラとばっちり目があう。ほんとにアパートの真ん前なので、ぎょっとした。現在、いけない逢引をする機会などなく、せいぜい意味不明の時間にヘベレケに酔っ払ってふらふら帰る姿が映る程度。これだけ犯罪が多発するとしかたないのかもしれないけど、やっぱりいい気分はしないなあ・・

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