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2011年10月

祭りの一日

Img_1970ラオスは、祭りが多い。祭りのたびに従業員が休むので、引き上げた日本企業がいたそうだ。

祭りのたびにお酒を飲んで大騒ぎをするので、外国人には、よく見えないが、祭りの日は祈りの日である。オオクパンサーというこの日。朝、6時にみんなでお寺に托鉢に行った。村中の人がお寺にいた。中には、3日間お寺にこもる人々もいた。たっぷり2時間ほど、読経と祈りの時間。

夜は、すべての家のまわりにろうそくが燈り、家の電気が消される。いつも手に負えないやんちゃなガキどもが、神妙な顔でろうそくに灯を灯していた。

二つのユニット

現在、地方で地道にがんばっている民俗音楽系の芸術集団はべつにして、共産主義国ラオスでは、民間でがんばっている芸能集団は二つしかないといっても過言ではない。そのふたつも、生まれたばかりだ。

ひとつは、われらがトー率いる「もちごめ」で、もうひとつはラオ・バンファイ。意訳すると「ラオスのミサイル」とでも訳そうか・・ヒップホップユニットである。もちごめは、オブジェクトシアターなのだから、関係ねえだろうが・・と思うが、なにしろ、ふたつしかなく、どちらも30歳になったばかりの兄さんが率いており、どちらも勢いと才能にあふれているのだから競争意識は高まるばかり。先日、あるフェスティバルで両チームがそれぞれブースをだした。ラオバンファイは大きなスクリーンで上演映像を流し、宣伝DVDを只で配っていた。それに対して「もちごめ」は、超アナログに竹でできたオブジェを飾っていた。そもそも「もちごめ」とミサイル。名前だけでもなんだよ。

トーは対抗してむきになるが、私は両方あることですごくいいなあと思う。なぜなら、両方とも、ぜんぜん違うジャンルなのに、同じことで競っているのだ。つまりオリジナリティー。ラオ・バンファイはヒップホップなのに、彼らに流れる血、彼らの文化を絶対忘れない。だからどちらも、世界でここにしかない作品を提供することができる。

河の道

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前にも書いたかもしれないけれど、私たちは居住地に道が通っていないということに、何年経っても慣れることができない。しかし、山深い土地で道路を通すということは、予算的にも、労働としても大変なことなのだ。だからラオスには、道と直接つながっていない村がたくさんある。昔、道は皆無だった。だから河が道として存在していただけだった。さらに川沿いの村から、山の獣道を何時間も歩いて上ったところに、さらに村が存在し、人が住んでいる。中には、河から5日間、山を登ったところに存在する村もあるそうだ。そのような村にいる人は、時々枯れてしまうわずかな水源から水を取り、自分がなんと言う国に所属しているかも知らないのだ。それでも、子供を育て、死者を葬るなんらかの信仰を持ち、完全な自給自足で何代も生きているのだ。

私が活動にかかわれるのは、せいぜい河の道につながっている村だけである。それでも、道路から小船に乗ってジャングルクルーズさながらに2時間ほど遡った村にたどりつくと、とても不思議な感覚に襲われる。その村の小さな小学校の先生は、町の生まれだ。とても熱心でよい先生なので、村の人に請われて、村の女性と所帯を持ち、一生、民族も違う、私たちが考える道にでるのは旅行になってしまうその村に骨をうずめる決意をした。彼は、のぞんでその生き方を選んだ。何度行っても思うけど、彼は教師として、ほんとに優れている。人の生きる価値について、考えてしまうのであった。

村の子ども達

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村では、ほとんどトーが先導してさまざまな身体表現ゲームをしたり、ミニショーをしたりしている。飛び上がったり、手をたたいたり、シンプルな表現なのだが、そこで展開されるこどもたちの喜び、そしてエネルギーに、何度遭遇しても驚くばかりだ。先日、ラオスに駐在する外国人の子どもたちと、この活動を行った。彼らもとても楽しんでいたし、ご父兄は、こどもたちの元気な発散を喜んでくださった。しかし、村の子どもたちは、明らかに違うのだ。もっともっと、生きている。今。自分がカエルになったこと、空に向かって飛び上がったことが、命のすべての燃焼なのだ。そんな子どもたちを見ていると、普段の自分がいかに瑣末なことに執着してぐだぐだ考え込んでいるのか・・と思ってしまう。村に生きるということは、医療をほとんど受けられないということであり、満足な教育からも引き離されてしまう可能性が高い。当然、貧しい。しかし、生きるということにとって、なにが幸せなのか?これは机上の論ではない。だれでも、村の子どもが笑顔を爆発させて、飛び上がるのを見たとき、絶対感じてしまうことなのではないかな?

恐ろしいバナナの話

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 田舎に仕事に行っていた。そこの16歳の男の子で人工肛門になってしまった子がいた。人工肛門といっても、日本のように清潔で、安全なパックがあるわけではない。親は、普通の貧しいお百姓。ただのビニール袋をぶら下げていたが、これから一生、どうやって暮らすのだろうとほんとに気の毒だった。

どうしてそうなったのか?その辺では、山狩りや畑仕事の最盛期に、1週間くらい森に入ったままのことがよくある。そんなとき人々は、森の植物を食べたり、自分で捕った魚や小動物を食べてしのぐわけだ。そのとき、彼はバナナを捕って食べた。しかし、そのバナナは普通のバナナではなかった。地域の人は「森バナナ」と呼んでいた。一見普通とまったく同じバナナの木。しかし、においや種の形状が微妙に違う。そのバナナをまちがって食してしまうと、どうも腸が溶けてしまうらしい。いままで何人かそのバナナを食べてしまい、病院に送られたが、帰ってきた人はいなかったそうだ。彼は若く、生命力があったのだろう。

森バナナを見せてもらった。そこらにあるようだ。やはり違いはわかりにくい。ただ、この話には、よくわからないことがある。彼は多分知っていただろう。でもお腹が空きすぎて、よく見ないで夢中で食べてしまったのだろう。というのが、村の人達の見解なのだ。そのような状況に陥ったことがないと、なぜ食べてしまったのか理解できない部分がある。

フランス人の友人

トーには、フランス人の友人が多い。そのひとり、ファーさんとトーの劇団カオニャオの仕事を手伝う。ラオスくんだりに自らの意思で滞在するフランス人の中には、アジアびいきの人が多い。それらの人たちの中では、当然日本はアジアの一国で、日本文化への造詣も深い。ファーさんの日本への憧れは大きく、稲荷ときつねの伝説だの、墨絵だの、日本の劇団やアニメや音楽。何でも知っている。でも、彼女はまだ日本に行ったことがない。「私は、スシが大好き!!パリにいるときは、いきつけのお店があったの。でも、なんども日本に行ったことがあるトーに聞いたんだけど、本場のスシレストランでは、スシが回っているんだってね。」・・・・・

なにもいえねえ・・・・

彼女たちの日本理解は、ときに感覚的にずれていることもあるけど、私たちが忘れてしまったものや、気にもかけなくなってしまったことの中に、「トレビアン」なことをみつけている。もう一度、日本について知ってみたいとラオスにいて思うのでした。

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