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2011年11月

呼びかけてよ!

 たのまれてティーが一度だけ来日した折にお世話になった方に宛てたラオス語の手紙を訳した。

彼女は、話し言葉で手紙を書いている。「おかあさ~ん ウ~イ とっても恋しく思っていますよ~」独特の呼びかけるような話し方。寒い部屋でひとり訳していると、人の手紙なのに胸がいっぱいになった。彼らは、いつでも呼びかけてくれる。

そのあと本場スペインの方のフラメンコを観に行った。フラメンコの歌「カンテ」も、なんと呼びかけの多い歌なんだろう。呼びかける・・というのは、必ずしも一対一ではない。世界に、森羅万象に、つぶやくように呼びかけることだってある。ただ、閉じているのではなく、どこかに向かって開いているのだ。

私は、いつでも呼びかけているだろうか?

なんども読み返す本

 何度も読みかえす本が何冊かある。その中で岡村昭彦著「南ヴェトナム戦争従軍記」は、最近図書館でも探すのが大変で、長い間手に取っていなかった。先日京都の古本市で偶然みつける。

はじめて読んだのは、ラオスに行くようになって数年、インドシナの背景や人々の歴史に興味がわいてきた時だった。その時は、インドシナ半島の混乱を知識として夢中になって読んだ。今回読み返して、40年も前の出来事なのに、知識ではなく痛みとして、強く感じられる。また、一部に韓国のルポが挿入されているのだが、その記憶がなかったことに驚く。今年、韓国に行く機会を得て、そのルポを読むと、やはり痛みとして心に響くものがある。

人は経験によって感じ方や、考え方が変わってゆく。だから知らない国の人々の苦しみは、なかなか理解できないのだ。逆に、一人の人間の経験できることなどたかが知れている。岡村昭彦氏のことはたいへん尊敬しているが、やはり実際に行っていないビルマやカンボジアの一部の認識に関して、今となってみれば、誤解も見受けられる。しかし、その時点では、だれにもわからないことであるし、岡村氏が命がけで駆け回っても、東南アジアの深い闇は、まだまだ深いということだ。

わかることなどないのだと思う。だからこそ、近づいていきたい。

野を歩く。

Img_2033 秋のある晴れた日、わざわざ電車に乗って山のある地域まで行き、一日ハイキング。

山を歩くのが好きだ。でも歩きながら思う。一番親しいラオスの親戚家族は、山の村に住んでいる。毎日、自宅から自分の畑まで40分ほどの山道を通う。雨の日も、風の日もそれは必然である。ハイキングなどという悠長なことをいうのは、なんだか気が引ける。      Img_2035

一方で、彼らとときどき狩りや魚捕りに行って思う。たしかにそれも必然である。獲物が取れなければ食卓は、貧弱になる。しかし、狩りをするときの兄さんたちの生き生きとしたようす、その高揚感は、やはりとてもしあわせな生命感にあふれている。山のくらしは、きついので、中には無理して都会に出て、サラリーマンになることを願い、そのように生きる人々もたくさんいる。それでもそんな彼らに聞くとだいたいみんないうのだ。「田舎にいるときはたのしかったなあ。」

冬眠に向かう

 長らく更新していませんでした。洪水の影響であるはずだったバンコクでの大きな仕事が流れ、トーはフランスに長期で行ってしまい連絡が取れなくなり、だんだん寒くなり、なんだか・・だんだん・・冬眠してしまいそうな今日この頃。

つくづく旅とパフォーマンスが好きなのだなあ・・と思います。どちらもしばらくなくなると、冬眠。ここ何年も、目先、一ヶ月くらいにフェスティバルとか、長旅とか、未知の目標があったのでした。で、しばらくないようなので、みなさん、おやすみなさい。

ってなわけには、いかねえんだよ。どうしよう!!

京都の旅

ひさしぶりにImg_2024ゆっくり日本を旅する。観光ではない。用があったのだが、だんだん何がようだったのかわからなくなった。京都大学周辺を拠点に動いたので、ビジネス優先にきりきりと動いている東京とはちがう美しい町並みを歩き、たくさんの研究者や旅好きの仲間に会うことができた。

Img_2030_1

近江今津にある友人のログハウスには、まきストーブがあった。都合良く冷え込んだその晩、ストーブにまきを焚いて、マッコリを飲みながらいつまでも炎をみつめていた。炎は時に人を惑わすけれど、ときにはとても落ち着いた気持ちにさせてくれる。




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