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2011年12月

あかり

クリスマスイルミネーションが、きれい。イルミネーションがきれいなのは、あたりが暗いから・・当然のことだが、私がラオスから受けた数々の影響の中でも、光と影については大きい。

ラオスは首都でも夜は暗い。昼の日差しは強く、夕焼けは激しくオレンジ色。そうすると、小さな光に対して、影に対して、敏感になる。たとえば月の光。暗い夜道でぼんやり月を眺めてしまう。暗い道では(かなり暗くないと無理だ。たぶん日本では無理だ)月の光でも、影ができることがある。

家の中も当然、日本よりずっと暗い。私は、ラオスの夜に同居人のティーとゆっくりとマンゴーの皮をむいている時など、心が静まって、のんびりと幸せを感じることがある。慣れれば、薄暗いということは、気分が落ち着き、快いことなのだ。しかし、寝る前に読書をする習慣があるのに、家の中で、夜読書にふけるのは、ちょっと難しい。それ以外でも、不便なことはあるので、覚悟と慣れは、どうしても必要。

豊かさは、ぜんぜん合理的にはできていないってことだ。

はい または いいえ

 歯医者さんで、「ここ痛くないですか?」と聞かれ、ぼんやりラオスのことを考えていたので、一瞬、つまる。痛くないとき、日本では「はい」が正解?ラオスでは、「いいえ」が正解です。口の中に器具が入っているので、しゃべられない。だから首で答えようとする。では、首を縦に振るのか?横に振るのか?

ラオスでは、お前の答えは逆だ。といつも言われる。どうもそこいらへん、日本がはっきりしないのか?私が良く理解していないのかわからないけど、日本通りにすると、ラオスでは違う。そこに首を振るという動作を入れると、ますます答えは混乱するようで、どっちなんだ!!といわれる。この現象は、難しい話の時ではなく、日常会話のなかでこそおこることなので、たいへん困る。

これを言い出すともっと混乱するので、詳しい話はやめときますけど、「行く」と「来る」はもっと複雑。私が日本から、ラオスに電話をして「来週、空港に迎えに来てよ。」という場合、「迎えに行ってよ。」というのが、正解のはず。たぶん?いや、ちがうかも・・あれ?私の話は信用しないこと。

小泉八雲

年に何度か上野広小路亭で開かれている寄席に参加させていただいている。先日、そこで山口晶代さんの語りで小泉八雲の「怪談」を聴いた。八雲の作品は、創作というより「再話」なので、地味なものが多い。しかし、山口さんの迫力もあって、言葉の力がどんどん入り込んできて、興味深かった。

たいへん面白いのであるが、ラオスなら今でもそこらに転がっている話だなあ。と思う。明治時代の日本でも、普通にあったことなのだろう。なぜなら、ご存じのように小泉八雲は生まれも育ちも西洋の人である。つまり外国人にとって、すごく奇妙で面白く感じられた話は、日本ではわざわざそれを集めてはいなかったということだ。

ラオスの感性を面白がっている私に対し???なラオス人も、日本人もいる。自分でもときどき???と思うことがある。でも、外国人だから見えることもあるのだ。

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