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2012年3月

冬眠明けました。

3か月ほど前に、冬眠宣言??を出して以来、月に1~2回、他の方のステージにお手伝い出演する以外、まともな活動をしていなかった。Img_2134_3

充電期間という言い方もあるが、私の場合は、寝ているだけなのでやはり冬眠。
 春になって、やっと目覚め、仙川人形演劇祭に参加。不得意ナンバーワンのストリートパフォーマンスだが、仙川のスタッフのみなさんのすばらしいサポートにより、とても充実した上演ができました。

右の写真は、いっしょに参加したツヂバデルコさんのパフォーマンス風景。みんな「モノ」に関係した内容なので、お互いに興味があり、とても楽しかった。

31日は東京寄席。その後も、ばりばり活動していきます。ところで、なんで寒いといつでもなにもやらないのかな?ラオスでは、猛暑の中、倒れそうになりながらも、活発なのに・・

野生動物

ラオスの特に地方で仕事をすると、自分が野生を失っていることを痛感する。それは技術ということだけではなく、考え方という意味でもである。

日本で絶滅してしまったオオカミを復活させようというプロジェクトがある。これはオオカミがかわいいという理由ではない。食物連鎖の上位にいるオオカミを復活させることによって、バランスを崩している日本の自然を戻していこうというものだ。つまりオオカミが増えすぎてしまって木の芽を食べつくし、山をはげ山にしてしまうシカやサルをコントロールする力を持っているということだ。すると当然、オオカミは、あぶなくない動物ですか?という懸念がでてくる。基本的に、くまもオオカミも、不必要に人を襲ったりしない。プロジェクトを進めている方々は、あぶなくないオオカミを広く広報することに努力なさっている。それはしかたないことである。しかし、思うのだ。野生のオオカミは法律などわからないし、警察におこられることもこわくないわけだし、絶対あぶなくないか?といわれてもね。野生はいつでも危険と背中合わせの中でバランスが保たれている。人間の都合だけでは、閉塞していくだけだと思うのだ。

求めているアジアの魂

数日前、経済を勉強しているラオス人留学生の方に、日本でチェオボンがやっていることをなんといって紹介しているのか?と聞かれた。正確にはオブジェクトシアターだが、一般の方に浸透していることばではないので「人形劇」といっている。留学生氏、「ちがうよね。似てるようにみえるけど」といった。ラオスにはもともとオブジェクトシアターという言葉が一般的にある。しかし、それはヨーロッパで生まれたそれとは、ちょっとだけニュアンスが違う。留学生氏、「でも、日本にも、人間ではない大きな魂を感じる心ってあるよねえ。なんで、あれがないんだろう?」といっていた。私は彼が言わんとしていることがわかるので、考え込んでしまった。説明できないけど・・

そして今日「究境の地」という岩手県の岩崎鬼剣舞のドキュメンタリー映画を見て、「ある!!」と勇気が湧いてきた。地域に伝わる民俗芸能というのは、プロの仕事ではない。剣舞の方々も、みんなしっかり仕事を持っていらっしゃる。そして長い年月をかけて、厳しく魂をもとめて修行し、踊りを奉納してゆくのだ。大いなる魂の慰撫が踊りの目的である。それは癒しなんぞでは、絶対にあらへんのや。もっと人間がうじゃうじゃいうことではどうにもならんことに対する感謝と恐れなのだ。岩崎地区では、学校でも、保育園でも剣舞を踊っている。だから全員、うまいわけではない。しかし、内部からあふれ出る大きな命の力が伝わる。そして、本気で修業をし、本気で踊っていらっしゃる方の踊りは、たとえ高校生でも、老人でも、心にびんびん響いてくるのだ。

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