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2012年6月

バイク横乗り

 毎日トーのバイクであちこち移動。長い間、バイクのお尻に乗っているので、すっかり慣れてしまい、両手に物を持ったり、スーツケースをもったまま平気で乗っている。普段は、パンツスタイルなので、もちろん跨いで乗っている。しかし、ラオスの正式な服装は、シンというスカートで、時にはどうしてもシンをはいて、バイクの後ろに乗ることになる。そうすると、横乗りになる。

昨日、車がひしめく大通りをバイクに横乗りのまま、手にはパソコンをもち、車の間をぬってバイクは走る。渋滞をぬけると、突然全速力で走る。その間、ずっと、横乗りしているわけだが、考えてみると、おそろしいな!
 ときどき考え事をしてしまい、足がぶらぶらする。いつ、吹っ飛んでも不思議ではない。・・・といいながら、今日もバイクにのんびり乗っています。

「青汁」のようなもの

 同居人ティーは、手作り変わったものを作るのが好きである。以前は、日本では高くて手が出ない「ノニ」ジュースを作っていて、更年期だった私は助かったものだ。そのころ彼女は ノニをそこいらで拾っていた。今は、ラオスでもノニ人気が上昇し、なかなかそこらに落ちていることはなくなってしまった。

Img_2309 今回、作っていた健康ジュースがこれ。そばにおいてある「バイナーン」という葉っぱをもんで作る。おいしいわけではないが、飲みやすい。くだんの葉はどこにでも生えている。美容と健康によく、疲れにくくなるそうだ。でも、一日にコップ半分しか飲んではいけない。飲みすぎると利きすぎて、下痢をしたり、熱を出すことがあるそうだ。毎日、朝、これを飲んでチェオボンリハーサルをする。でも、やっぱり夕方には、ゲロゲロに疲れます。

日曜日は葬式

 田舎から帰って、先週はずっとしゃかりきになってチェオボンリハーサルをしていた。気温35度の中で、一日中、まじめにリハーサルをするのは、さすがに疲れる。日曜日は、相方トーが仕事のおかげで休み。ずっと日記に書いていた森の家族のうち、首都で働いているメンバーとだらだらとビールでも飲んで過ごそうと考えた。

ところが突然、村の仲間が殺されたので、葬式・・といっても殺されたのは昨日なので、とちあえず平服で、日本でいうところのお通夜。ということになる。Img_2303 昨夜、友人といっしょに酒を飲んでいて、けんかになり、友人が拳銃をぶっ放し、即死。そして流れ弾に当たって、そばにいた女性も亡くなったそうだ。銃を撃った当人は、現在も逃亡中である。逃げている加害者には、妊娠5カ月の妻がおり、妻はショックで流産してしまった。妻が元気なら、加害者は逃げ続けるだろうが、流産した妻の話を知ったら、絶対現れる。というのが、周囲のラオス人の統一した見解。どうも、この事件全体の哲学が日本人のわたしには、ピンとこない。

亡くなった方を、私は直接は知らない。しかし、今日は一日、お寺で過ごすことになった。突然のことなので、人々の哀しみは大きい。そうすると、どうも私は、なかなか写真が撮れないんだな。村にいるときも、宴会の最中に突然、ピー(精霊)が降りてきて神がかったおばあちゃんがいた。そのときもカメラをもっていたが、村の人にとって神がかることは、まじめなことなので、やはり写真を撮ることはできなかった。よそ者が写真を撮っていいタイミングというのはあると思うのだ。まあ、職業カメラマンではないので、そんなことを言っているのかもしれないけど。

たまご売りに化ける。

 森の村から6KMほど離れたところで展開している中国プロジェクトは、ラオスでおこなっているのにもかかわらず、ラオス人従業員はひとりもいない。全部中国から来た人たち。だから雇用の拡大にはつながらない。そのうえ、厳重に立ち入り禁止なのだ。

まだ操業しておらず、建物を建てるなど準備中で約400人の労働者が来ているということだ。たぶん操業開始になると千人単位の中国人がやってきて、商店なども自前でオープンするのだろうが、さすがに今は、食料品やせっけんなどの生活物資だけは、ラオス人から仕入れている。プロジェクトの中に掘立小屋があり、そこに村の人たちが輪番で品物を売りに行っていた。

親戚のおばちゃんが、卵を売りに行くというのでつれてって。と言ってみる。おばちゃんびびる。プロジェクトの中には警備員がいっぱいいて、銃を持って警備しているという。それでもおっかさんスタイルに着替えをして、つれていってくれることになった。ほとんど空の天秤まで担がされる。

つい最近まで山だったところが、草木が一本も生えていない平地になっている。プロジェクトに大型トラックがはいるためだけに、橋が2本もかけられ、道路が敷かれている。そして中国人の方々が昔、映画で見たピラミットの建設現場のようなようすで過酷な建設作業をしている。宿泊はブルーシートの上にやはりブルーシートで屋根だけをつけたようなところまである。そこに寿司詰めになっているらしく洗濯ものがぎっしりと干されている。こんな環境で山から一歩も出ずに何カ月も建設作業をするらしい。しかし、まだなにもはじまっていないので、結局、そこでなにがおこなわれるのかはわからないままだった。そこから下流にある村は、はじまるプロジェクトの環境変化を丸々かぶることになるが、村人は誰一人、何が始まるのかを知らない。

山の暮らし

Img_2209 彼女は今、家の壁を竹を割って編んでいる。山の暮らしは、お百姓であるだけではなく、漁師であり、猟師でもあり、畜産業でもあり、大工であり、機織りであり、生活にかかわるすべてを自分で作るということだ。村の食卓はあんがい豊富だ。この日は、魚のラープ(とれた魚、森のハープや唐辛子、森のライム)とタケノコのスープ、もちごめ。米以外は生産したのでも、買ったのでもなく、森で捕ってきたものだ。

Img_2212 こちらの写真は、家族で鍛冶屋仕事をしているところ。

ところがそんな村にどんどん道路が開通する。道路ができれば病人を病院に運ぶことができるし、学校にも行ける。村の人が喜ぶのは当然のことだ。具体的に死亡率が下がるのだ。

しかし、今、この辺の道路を作りまくっているのは、国境を接している中国だ。自然の山を削って、なにやらアブナイ工場を建てたり、資源を根こそぎ盗ってゆく。道ができれば人や物資が動く。そこに流通が生まれる。
 あたりまえだが、モノを買うのにお金が必要になってくるのだ。そしてアブナイプロジェクトのせいで、水が枯れだし、森の恵みが急激に減ってくる。今までなかった農作物や家畜の疫病が蔓延しだす。人々は、働きに出なければならなくなる。なんでもできる人たちだったはずが、何にも知らない田舎者になってしまう。10年以上も前から、この地域を知っている私にとって、今回、村の、そして人々の荒廃に、身体中が乾いてくるような気持ちになった。この現象はラオス全体で起こっている。世界の最貧国から抜け出そうとして努力しているこの国は、ほんとうに幸せにむかっているのだろうか?

物語の源流

Img_2289 ラオスと深くかかわるようになったのには、さまざまな要因がある。最終的にラオス独自の表現集団に出会い、今までの表現を180度変えてゆくことになったが、それより6年ほど前に、ウー河という河沿いに住む人々と出会った。

そのころ村は、森の中にひっそりと存在し、電気も水道もなかった。人々は、森と川の恵みだけを受けてくらし、貨幣さえも冠婚葬祭のときに水牛を売るくらいで、他には存在しなかった。朝早くから、急な山の斜面で、熱い日差しを受けながらする畑仕事は、想像を絶する厳しいものだった。しかも、そこで作られた農作物は、売られることはなく、家族で食べるためのものであった。

しかし、人々の暮らしは力強く、生命力にあふれていた。山の仕事はきついが、夕暮れに里に帰り、水を浴び、火をおこして夕餉の支度をし、ほの暗い小さな明かりの中で人々は手製の楽器を演奏し、歌い、踊った。Img_2236_2

何度も通っているうちに客扱いされなくなり、家族の一員として当たり前のようにむかえ入れられ、一人ひとりが抱える喜びや悩みが伝わるようになった。

ひさしぶりでゆっくりと訪れ、あらためてその場所が、私に与えた影響の大きさを感じた。しかし急激に変化する社会構造の中で、いままでの村の暮らしは崩壊しようとしていた。

寝台バスに乗る。

雨季がはじまった首都ヴィエンチャンから、ルアンパバーンまで、バスで行く。寝台バスというのがあったので、それを買おうとすると、同居人ティーいわく「あんた、あの道知っているでしょ。寝たまま安全にいけると思うわけ?」そう、日本に寝台バスなるものがないのは、たぶん危険だからだろう。そして、行こうとしている道は、山、また山の道にトンネルが一つもなく、つまり崖っぷちを、登ったり降りたり、山をぐるぐる回る道なのだ。330Kの距離を通常は9時間くらいかかってしまう。普段日本で、車酔いなどしないが、いつもゲロゲロに酔ってしまう。その上、雨季なのでうわさでは、道が崩れまくっていてたいへんだ。ということだった。でも、どうせたいへんなら、寝て大変な方が楽だろう。という意味不明な結論に達して、寝台バスで行った。12時間かかった。でも、バスに乗るとき、靴脱ぐんですよ。なんとなくごろ寝している感覚。面白かった。日本でも深夜長距離バスに乗るが、日本に比べてずっと過酷な道なのに、ぐっすり眠れるので、身体はすごく楽だった。行きも帰りも寝台バスだったが、今も元気で生きているわけだし。

あわてる乞食は、もらいが少ない。

 ひさしぶりでラオスに行く。ところが今回、チェオボン公演が興業ヴィザを取得するという暴挙を敢行しなければならないので、準備がたいへん。時間がない。

さまざまな書類を印刷中、インク切れ。インク屋に走る。青梅街道の交差点ではないところを斜めに横断していると、目の前にパトカー・・がっつり絞られる。とほほ・・やっとのことで、いちばん近い文具屋に飛び込むと店主が急に具合が悪くなって大騒ぎをしており、あきらめる。2件目に走る。ぜーぜー言いながらインクを求めると、あ~~在庫がない・・たかが印刷。されど印刷。走りまわってやっと手に入れ、印刷した書類をしまうべく、ひさしぶりにスーツケースをひっぱりだすと、鍵がこわれている・・・

頭にきて、ブログを更新している次第。物事は、おちついて、早めにするべきである。(言うだけ無駄だ。)

チェオボン 「ぼくらの森には」 日本公演のご案内

<ラオス×日本>人形劇ユニット チェオボン
 

      「ぼくらの森には」

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ラオスの人形遣いと日本のパントマイマーのユニット、チェオボンが繰り広げる
モノと身体による詩的でちょっとユーモラスな世界。4度目の日本公演です。


出演:ラタナコーン・インシシェンマイ/あさぬまちずこ
作・構成・美術:チェオボン
音楽:チェオボン/虫明悦生(ケーン演奏<録音>)

名古屋公演 2012728日(土) 14:00
会場:損保ジャパン人形劇場 ひまわりホール(名古屋市中区丸の内3-22-21
料金:前売2500円/当日3000
主催・お問い合わせ:()損害保険ジャパン・総務課・ひまわりホール係
TEL 080-1137-9733
FAX 052-953-3680

大阪公演・島本町 201282日(木) 19:00
会場:ケリヤホール(三島郡島本町桜井3-4−1島本町ふれあいセンター内)
料金:一般・前売2500円/当日3000円 中学・高校生1500円 
小学生以下1000
主催・お問い合わせ:島本町でチェオボンとともにたのしむ会
                              
  TEL 090-9111-0685(槙野)

(長野)いいだ人形劇フェスタ 201283日(金)~5日(日)
会場:飯田人形劇場、他
主催・お問い合わせ:いいだ人形劇フェスタ実行委員会事務局(飯田文化会館内)
TEL 0265-23-3552
FAX 0265-23-3533

大阪公演・門真市 201286日(月) 19:00
会場:門真市民文化会館 ルミエールホール(門真市末広町29-1)
料金:一般・前売2500円/当日3000
割引・前売1000円/当日1500円(高校生以下、65歳以上、障害者の方)
主催・お問い合わせ:門真市民文化会館指定管理者NPO法人トイボックス
                              
  TEL 06-6908-5300FAX 06-6908-5922



<関連プログラム:ワークショップ>
 

~チェオボンの不思議な世界を一緒に体験してみませんか!?~
7
26 荒川区・サンパール荒川
730 
京都市・法然院森のセンター  Jeobong2
8
6 大阪・門真市民文化会館
88 
川崎市・多摩美の森(野外) 



【お問い合わせ】

現代人形劇センター

TEL 044-777-2228
FAX 044-777-3570
http://www.puppet.or.jp/

E-MAIL asia@puppet.or.jp 
Twitter
アカウント:@puppet_center
Facebook:公益財団法人現代人形劇センター



※それぞれの会場の詳細については、直接、このHPからお問い合わせください。

工夫の向かう先

 夏のチェオボンツアーの最中、川崎市の森でこどもたちとワークショップをするため、下見に行った。管理をしている方々が、さまざまな道具を使って木の枝をはらうなど作業をしているのを眺めながら思う。

ラオスで森の恵みで暮らしている人々は、ナタひとつですべてをしてしまう。少し話題がずれるが、ラオスでボロバイクに乗せてもらっていると、壊れるのが当然という状態だが、彼らはひもやはりがね一本で直してしまうことがある。その技術力と工夫にいつも感心しているが、そういえば、いつでも彼らの道具自体は、シンプル極まりない。

一方日本では、修理道具などが充実しており、素人にも使いやすいものがたくさん開発されている。トーを川崎の森につれていったら、道具に夢中になってしまうだろうなあ・・と、今から少々うんざり。

しかし、作業におけるこの違いはいったいなんだろう?

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