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山の暮らし

Img_2209 彼女は今、家の壁を竹を割って編んでいる。山の暮らしは、お百姓であるだけではなく、漁師であり、猟師でもあり、畜産業でもあり、大工であり、機織りであり、生活にかかわるすべてを自分で作るということだ。村の食卓はあんがい豊富だ。この日は、魚のラープ(とれた魚、森のハープや唐辛子、森のライム)とタケノコのスープ、もちごめ。米以外は生産したのでも、買ったのでもなく、森で捕ってきたものだ。

Img_2212 こちらの写真は、家族で鍛冶屋仕事をしているところ。

ところがそんな村にどんどん道路が開通する。道路ができれば病人を病院に運ぶことができるし、学校にも行ける。村の人が喜ぶのは当然のことだ。具体的に死亡率が下がるのだ。

しかし、今、この辺の道路を作りまくっているのは、国境を接している中国だ。自然の山を削って、なにやらアブナイ工場を建てたり、資源を根こそぎ盗ってゆく。道ができれば人や物資が動く。そこに流通が生まれる。
 あたりまえだが、モノを買うのにお金が必要になってくるのだ。そしてアブナイプロジェクトのせいで、水が枯れだし、森の恵みが急激に減ってくる。今までなかった農作物や家畜の疫病が蔓延しだす。人々は、働きに出なければならなくなる。なんでもできる人たちだったはずが、何にも知らない田舎者になってしまう。10年以上も前から、この地域を知っている私にとって、今回、村の、そして人々の荒廃に、身体中が乾いてくるような気持ちになった。この現象はラオス全体で起こっている。世界の最貧国から抜け出そうとして努力しているこの国は、ほんとうに幸せにむかっているのだろうか?

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