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暮らしに生きる祈り

トーは、お酒大好き、大酒のみである。来日中に、日本語では「雨安吾」という期間に入った。ラオスではその間、雨季真っ盛りで、人々はハレの行事をいっさいしない。3ヶ月間であるが、トーは毎年、禁酒禁煙する。前日まで浴びるように飲んでいた人が、満月を境にぷっつりやめる。

大汗をかいた公演後にジュースを飲んでいるトーのようすにたくさんの方から理由を聞かれる。信仰上の理由で・・というと、みなさん質問が止まらなくなり、なんだか話がへんなほうに向かい、私は冷や汗をかいてしまう。それを見たトー「健康上の都合で。と答えればいいよ。」という。そちらの方が現状に近いかもしれないな。

ラオスにおける私の居候先に1週間も滞在すると、必ず一度は朝4時ころにたたき起こされ、みそぎをした後、どこか祈りの場につれていかれる。それは台所のかまどだったりする。ラオスの暮らしの中には、まだまだ儀礼や祈り、それに伴う禁忌がたくさん生きている。心から信じていない私のようなものは、はじめ面倒に感じる。しかし、彼らは暮らしの中の一こまとして、たいした思い入れもなく、淡々と儀礼に従う。そのうちに感じてくるのだ。かれらだって、めんどうな人間関係やうまくいかない仕事と戦っている。それなのに、ラオス人一般のしあわせ指数は確実に日本より高い。かれらは、自分に生じるさまざまな不都合が、人間だけの能力で解決できるとは思っていない。人間を越えた大いなるもの。それに対する祈りの時間を持つこと。畏敬の念をもつことによって、心は健康に生きていることができる。

生まれたときから暮らしの中でそれを信じて、大いなるものと行事を通じてかかわりながら生きていけることはなんて幸せなことなのだろう。

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