« 函館地球祭り | トップページ | ブルートレインに乗って »

安全性と注意力

 日本では、商品の安全性がどんどん向上している。倒れてもお湯がこぼれないポットやスポンジでできた積木などあたりまえのように売っている。たぶんそれは正しいあり方なのだろう。しかし、自分がラオスの田舎、特にジャングルを歩く時の注意力の無さ、対処能力の無さは、生きる力そのものが低いのではないか?とさえ思ってしまう。

以前、9歳の男の子とふたりきりで小舟で川を遡上している最中に、嵐に見舞われたことがある。舟を操っていたのは、もちろんこどもの方で、私は乗っていただけ。嵐が到達する前から、状況を察知し、周囲を確認しつつ、無能なおばはんを守りながら、彼は舟ごと安全な場所に避難させた。私は今でもまだ声変わりしていないトーンの高い声で次々に指示を出す彼の声が耳に残っている。彼の判断力と行動力にずいぶん驚いたものだったが、向こうは、大人のくせに嵐の前兆さえ見逃してしまう私に「信じられない!!」と言った。
 食べ物などでも、自分の視覚と臭覚を駆使して安全性を確認できるラオスの人々。森に実っている果物でさえ、どれがどの程度熟れていて安全で、おいしいのか判断できなくなっている私。

安全性は大切だが、自分自身の生きる力を発揮させる機会も、必要なんじゃないかなあ・・

« 函館地球祭り | トップページ | ブルートレインに乗って »

メコンの木霊(日記)」カテゴリの記事

プロフィール

無料ブログはココログ