« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

またもや消防の話

 自宅でのんびりお風呂に浸かっていると、消防のサイレン。ぼんやり聞いていると、なんと次々に我がアパート付近に停車しているようす。さすがにまず服を着た。

外に出るとお隣の一戸建て住宅に消防の方々が押し寄せている。みなさん、あわてているので、どうしたのか聞きたいところをがまんして、じっとしている。しかしですよ。ここは住宅密集地、消防車がウ~ウ~言いながら次々に到着しているのに、いわゆる野次馬はわたくしのみ。野次馬というものが上品な行為だとは思っていないが、だれも窓も開けないというのも、すごいな!付近、走り回る消防の方々と、ただひとり着ぶくれて立ち尽くすわたくしのみ・・

一時間ほどして、消防の方が来て下さった。お隣はファンヒーターの前にあったスプレー缶が爆発し、燃えやすいものに引火し、内部は悲惨なことになっているそうだ。で、「あなたの部屋の前にガラスが散乱しているのでお知らせに・・」とおっしゃる。夜だったので、見えなかったのだ。私は素足にサンダルをつっかけて火事場を見ていたのだ。ガラスふみまくり。やみくもに掃除を始める私に「かえってあぶないです。」と消防の方は手伝ってくださいました。

情報過多

 最近、主にネットを通じて山のような情報が流れ込んでくる。自分でもついネットであれやこれやとチェックしてしまう。たとえばニュースで知った出来事に対しても、心は動くが、茶の間で知った遠くの悲劇に即反応するわけではない。

そんな中、情報をもとに作品を創作するというような依頼がちらほらとはいり、困惑している。私がラオスで衝撃を受け、傾倒していった劇とは、舞台上でそのままパワフルに生きてゆく彼らの姿勢だった。厳しい現実と真摯に向かい合って生きている彼らが作る舞台は、ときに日本人には理解できない感覚や現象がある。しかし、それが情報分析ではなく、実感である限り、理屈が理解できなくても、心は大きく揺さぶられてゆくのだった。そのような方法でしか上演をしたくないと決めた。最近、なだれ込んでくる情報、情報だけを基にして自説を展開する人々に少々うんざりしています。

初詣

あけまして おめでとうございます。

最近毎年、初詣に行くのは、家から約5分ほどの神社。Img_2372 今日もバイトの合間にひとっ走り行ってきました。わざわざ右寄りに撮影しているのは、本殿の左にむかしからあるらしい古いお稲荷さんがあるから・・

手を合わせるという行為に理屈や意味を考えていた小賢しい時期もあった。でも、今、素直に祈る。これは完全にラオス暮らしの影響。

今年の年賀状は、びっくりする場所からのものも多い。ボツワナに住んでいます。モスクワに引っ越しました。などなど・・どこにいても新しい年はやってくるし、あるとき、日々の自分をみつめるものだ。今年は、もっといい舞台活動がしたいなあ。

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

プロフィール

無料ブログはココログ