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2014年4月

世代は変わる。

 某NGO主催ラオス正月パーティー。そこでひたすらラオス料理を作るのが恒例になっている。最終味付けはラオスから来た留学生の方々・・のはずだった。来たばかりの留学生君たちの包丁さばきをみて、しばし目をぱちくりするワタクシ。経験の無さが顕著である。

 

親しくしているラオス人は30代前半が多い。彼らは男性でも家事全般、調理だけではなく、乳幼児の世話から掃除まで、私よりずっとうまい。トーは首都生まれだが、田舎に仕事に行って食堂などなくても、森から食べられる食品を多数調達してきて、野原で火をおこし、調理道具などなくてもメシをつくってくれる。凝り性のケオなど、落ちていたトタンを川で洗って、どこからか調達してきた卵(いったい何のたまごだろう?)と森の植物でゴージャス野点オムレツを作ってしまった事がある。昨日会った留学生君たちは、かれらと10歳程度しか年齢が違わない。その間にラオスは急激な経済成長を遂げた。ネックはこれ。経済成長は、サバイバル能力を奪う。かぼちゃの皮がむけなくて苦心惨憺している若いラオス人たちをみながら感慨深いおばさまでありました。

バニヤンの木陰で

この本は、ポルポトの時代を経験した作者による文学作品である。ベトナム戦争からポルポトの時代にかけての出来事は、多くの文章、映像があり、接する機会も多い。それぞれ人間の根本について考えさせられるものが多いが、この本は自分にとって特別だった。9784309206479_3

描かれているのは、悲惨な体験である一方でその中でいかに美しく生きようとしたのかということだ。根底にあるのはクメールの文化とカンボジアの豊かな自然だ。それらに触れる機会がある私は、その美しさを容易にイメージすることができ、どんなに悲惨な状況になっても、そこに戻ろうとする人間の尊厳に深く感動する。古くから伝わる力強い文化が人間を支える力を持つこれらの地域にときどき嫉妬さえすることがある。

祭りと命

道楽といわれようが知っちゃいないが、様々なラオス文化研究会に参加し、専門家のお話を聞くことが多い。先日は数多いお祭りの中でも、人々が熱狂するボートレースについてのお話。ほとんどが農民だったラオスで、河の水の増減は人々のくらしや命に直接かかわっていた。その河の神、龍さまに移動を願うため、その移動コースで舟を競争させ、龍さまにも移動してもらおうというのがもともとの目的。興味深いお話をうかがいながら、突然自分の身体によみがえってきたことがあった。生まれ故郷三陸では、引き舟といって普段操業している漁船たちが、持っている大漁旗で目いっぱい飾り付け、やはり海神を移動させるお祭りがあった。私が幼いころ、その祭りは観光や地域おこしのためではなく、漁師のおじさんたちによってほんとに真面目に行われていた。小さい私は、その迫力や人々の願いを全身で受け止めていた。かなり小さい時なのだが、その意味も、目的もその迫力から身体に刻みこんでいたのだ。祭りの力ということを、改めて思い出した。

春はあけぼの

今朝は朝5時ころ、ひとりで花見。Img_3573

これだけ花が咲くと、朝鳥たちが大喜びでさえずる。空気もきりりと澄んでいる。人の通りも少ない。早朝に花見をする価値は十分ある。

人には、身に刻まれた風景というものがあるとラオスで創作をするようになってから感じるようになった。それは知らず知らずにその人の心情に影響を与えているのだ。ラオスの人たちがもっているイメージはやはり私とは全然異なる。花咲き乱れる春は、きっと私たちの心情に大きな影響を与えていると思う。

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