モン族の村に訪問公演
いつもの定番。訪問公演。
何年やっても、何度やっても、どんな豪華絢爛な劇場公演よりもこの仕事をしていてほんとによかったと思う瞬間。
ただ目の前の見えない扉が開き、普通の日々にはないわくわくやドキドキがそこにあれば、それを十分感じてもらえれば、それがなによりも幸せです。
劇団カオニャオといっしょの上演なので、ますます楽しかった。
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いつもの定番。訪問公演。
何年やっても、何度やっても、どんな豪華絢爛な劇場公演よりもこの仕事をしていてほんとによかったと思う瞬間。
ただ目の前の見えない扉が開き、普通の日々にはないわくわくやドキドキがそこにあれば、それを十分感じてもらえれば、それがなによりも幸せです。
劇団カオニャオといっしょの上演なので、ますます楽しかった。
ヴィエンチャンにてフェスティバル広報パレード。徹底的に安い、早い、ばかばかしいを追及するトーと私は昨年から、このジャンボーパレードを企画していた。もちろんパレード実現までは、信じられないほどの問題があったが、ここまできました!!
途中、夕方の市場でのチラシ撒き。一生懸命、やってくれているのは「はとちゃん」有名な王様「アヌヴォン」の扮装はトー。でも、腹が出すぎているため不評で2日目は腹は隠して参加。疲れ果てて、あらぬ方向をながめているのは不真面目なワタクシ。周りをうろうろしているのは、トーの子どもたち。つまりドタバタお祭り騒ぎ
ヴィエンチャンにある中国市場に、上演道具を探しに行く。一角が完全に異国中国。しかも中国正月が近いので、その飾り物で真っ赤っか。一日中、こんなところにいたら、皮膚が赤くならないのだろうか?
昨日は一日、制作雑用。チケットづくり、招待客の手配やその他もろもろ。プリンターの速度は異常に遅く、1時間おきくらいに部屋は停電になり、出先でバイクは故障し・・すべてに時間がかかるラオスにわかっちゃいるが大いらつくわたくし。いらつくと禿げるぞ!!とフェスティバル準備でいきなり禿げだしたトーが必死で忠告。
話は前後するが、日本からハノイ経由でヴィエンチャンに到着。いつものコースだ。しかし、ハノイについてびっくり!!リニューアル・・なんていうものではない。ここはどこ??以前のハノイ空港は体育館みたいで確かに田舎くさかった。しかし、何度もトランシットしたので、勝手が良くわかっており、3時間の待ち時間、あそこでマーサージして、おいしいお粥を食べて・・と考えていたのに、ピカピカのおしゃれな待ちあいロビーには、安マッサージも、お粥屋もなかった。しかたなく缶ビールを買おうとすると以前1$だったビール「ハノイ」が4$だったので、やめた。
のどが渇いてうろうろしているとこれがあった。Free Drinkって只の水道じゃないか?とりあえず、只の水をガボガボ飲んでみる。5分くらいしたら、お腹をさすりながらトイレに行った。お勧めしません。
やっとラオスに到着、さっそく居候先で、フェスティバルスタッフとミーティング。話をしながら、天井で猫とネズミが戦っている音は聞こえていた。ドタドタ、フンニャ~、チュチュ~しばらく無視。次の瞬間、猫と一緒に天井落下。しかもわたくしの真上・・猫は上手に着地し逃げ去るも、天井は無様に私の上に落下・・真っ白になるわたくし・・爆笑する人々・・みんなで「水浴びろ!」と言ってくださるが・・浴びるのは水。お湯はもちろんなし。初日からとってもラオスらしいはじまりです。ありがたいことだ・・
刻一刻とヴィエンチャンフェスティバル本番は近づくが、私はまだ日本。現場が現在、大混乱という状態も了解したうえで、現場にいるト―と毎晩、真夜中に電話。
2015年1月31日ヴィエンチャン中心部にあるラオジャパン武道館にて開催。
ストリートショー:15:00~18:00
出演:ラオスサーカス、劇団カオニャオ、シャボン玉OKUDA
あさぬまちずこ、他、ラオスのたくさんのパフォーマー
舞台上演:19:30~21:00
出演:小島屋万助劇場、劇団カオニャオ、あさぬまちずこ
この一枚にポスターができあがるために、日本の百倍はすったもんだ・・睡眠不足&国際電話代破産か・・でもだいじょうぶ!!
ラオスのお金がなくて困っている家族も、お金が余っている方も、じいちゃんもばあちゃんも、こじきさんも、犬も、牛も、みんな、観に来てください!!
とっても楽しいパフォーマンスショーです。
最近、ラオスのことを話す機会が多い。専門的な話ではない。ごく普通の事。実態に慣れてしまっているのでつい誰でもわかることだろうと思ってしまう。しかし、体験したことが無ければ解らんことというのが、世の中にはすごくたくさんあるのだ。
明けまして おめでとうございます。
どういうわけか、西暦に5のつく年、私は転機を迎える。1995年、サリン事件や神戸の震災があった年、ラオスのお仕事が急に増え、プライベートも重なって引っ越しをし、ラオス中心の暮らしを始めた。2005年、はじめてラオスの劇団を日本に招へいする事業ができ、本格的にトーたちとの活動を開始した。いつも5のつく年は激動の一年を過ごす。・・で、2015年もその兆し濃厚である。最近、とても元気なので、今年、なんでもいらっしゃいな気分です。ようこそ2015年。