打ち上げ
さまざまな訪問公演も終了し、打ち上げ。カオニャオシアター庭にて・・
バーシースークワン。魂を応援する儀礼をしたあと、飲めや、歌えや、踊れやで大騒ぎ。だいたいばか騒ぎをしていたが、ときどきフトたそがれていると、誰かが寄ってきて人生の悲哀を語る。みんな家族があり、育てなければいけないこどもがいる。その中でパフォーマーでいることは、家族に多大な忍耐を強制することになる。生活は厳しい。ラオスは家族への愛と責任が大きい。芸術なんて、それに比べれば道楽のようなものだ。みんな悩んでいた。私は何も言えない。家族を普通に大切にしながら、普通の人々と同じ感覚で暮らしながら、想像力が羽ばたいてゆく彼らの作品が好きだ。だから、父であること。母であることは大切なことだ。でも、そのために優れた才能を持ちながら、やめてしまうことは悲しいことだ。
結論などない。ずっと悩み続け、やめたり、復帰したりしながらやっぱり続けてゆく以外ないような気がする。
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