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2015年12月

考える森、直観の森

 世田谷美術館に友人のダンス公演を観に行った。美術館は砧公園の中にあり、ダンス公演のコンセプトも「場」に深くかかわっていた。広い公園内で迷いやっとたどりついた私は、彼女のダンスを観て思う。日本の森、その中にある美術館や博物館は、自分と自然と作品が向きあい思考する場所である。何も考えずに行っても、いつのまにかそのような状態になっている

一方、ラオスの荒々しい森ジャングルは、思考するいとまがない。ぼんやりしているとあぶないので、直観を最大限に発揮して、周囲を一瞬で察知しながら、次々に変化する状況に対応していく必要がある。悩みや問題を抱えていても、ジャングルに4~5日はいって出てくるとすっかり忘れており、あまりに何も考えなかった数日に自己嫌悪になることすらある。

しかし、どちらもどちら、それぞれの価値がある。ラオスの人々がもつ直観的瞬発力のなぞが、少しづつとけてきた気がする。

道をつくる。

 来年1月にラオスをツアーする予定だ。ツアーガイドを作るのは、私の役割。A町からB町まで車。B町からC村まで舟。という案内をすると、キャー観光船。とほとんどの人が喜んでしまう。わざわざ舟に乗り換えるのは、そこに道がないからだ。たとえ舗装道路でなくても、森を切り開き、車が通れる道を通すのは、膨大な資金と人力が必要だ。橋となったら更に膨大・・・というわけで、ラオスには道が通じていない地域というのが、まだまだたくさんある。

以前同じくラオス辺境地帯をツアーしていて、細かく道が通っているのでかえって不思議に思ったことがある。その道は悪名高い「ホーチミンルート」だった。ベトナム戦争当時、ベトナム側解放戦線は、ジャングルの中に強引に軍用道路を作った。その複雑さにアメリカはついていけなかった。そういえば、タイのバンコクからラオスに通じる道もベトナム戦争当時アメリカがつくった軍用道路だ。戦争車両を通すために道が作られる現実は皮肉である。

微妙な関係

 バンコクのフェスティバルでの1シーン。トーが私に向かって憎々しげに「ば~かか~ばちんどんや・・」てな悪態をついていたらしい・・で、私もオニババ顔して「うるせえ、サル野郎!!」てなことをわめいていたらしい。なぜ、らしいなのか・・あまりに日常的光景なので、本人たち両方とも覚えておらん。Img_4257


打ち上げのとき、酔っぱらったカンボジアサーカスチームのリーダーが、英語、怪しいラオス語、クメール語をごちゃまぜにして、私とトーに言ったのだ。曰く「今回、一番ショックだったことだ。」彼らのチームは、激しい内戦の最中に孤児になった子どもたちの救済のために、フランスを中心にした先進国の援助、運営によって設立され、今に至る。リーダーは、物心ついたときから、善意あるお金持ち外国人たちに全面的に援助され、指導されて育った。たとえどんなに理不尽に感じても、先進国の人間にば~かということはできない。「ずっと誰かに助けられることだけで生きて行くってなにかな?トーの主人はトーだろ?すごくうらやましい・・」私とトーは酔っぱらった頭で必死で彼の言葉を解読していた。

表裏一体

バンコクは間違いなく大都会だ。しかし、どこに行っても一見こぎれいな東京と異なり、さまざまなひずみや混沌にあふれ出ている。

ある夜、夜中の2時ころ、酔って一人で歩いていたら、日本と同じようなゴミ収集車がやってきて、箱乗りをしていた二人の従業員が飛び降りた。ふたりは2~3歩歩いて、しゃがんでしまった。「あ~疲れた。」「やっと今日も終わった。」彼らが話していたのは、私に理解できるラオス語と同じイサーンのことば。顔は真っ黒に汚れ、厚手のゴム手袋を脱ぐと、落ちていたたばこの吸い殻を拾って火をつけてホッとしていた。

最終日、ラオスメンバーといっしょに買い物い行く。私は、通訳をしている学生さんにどこが良いか聞いた。MBKが安くていいという。カオニャオたちは、ホテルのお掃除おばさんに聞いた。「MBKなんて高くて入ったこともない。」おばさんが教えてくれた裏市場にいくと、衣類やサンダルが¥50~¥300くらいで売られており、クーラーもない迷路のような路地は、完全に身体を隠したモスリムのおばさんや、ラオス語やその他少数民族の言葉であふれていた。すごい人だった。ホテルのおばさんは、私を指差して言った。「日本人も連れていくなら、カメラなどは持たないこと。彼女をひとりにしないこと。」行ってみて、おばさんの忠告は的確だと思った。

ラオスも混沌としているが、それは表に現れていて「それが普通」という感じ。でもバンコクの混沌はモダンな高層ビルの真裏に広がっていたりする。

雨を呼ぶ鳥

タイ、バンコク。
一番涼しい季節のはずが、すさまじく暑い♨💨仕事現場、ルンビニ公園で、雨を呼ぶ鳥の声を聞いた。なぜかわたしは、あの声を聞くと不安になる。不安定に心をかきみだす鳴き声なのだ。昔、ラオスでその声におびえていた私に、ばあちゃんが言ったものだ。あれは、雨を呼ぶんだよ。

 

しばらくして、日本人が、驚く激しいスコールがきた。こんな豪雨になるわけないのに。乾季でカラカラなはずなのに。みんな大騒ぎ。でも、確かに聞いたのだ。雨を呼ぶ鳥の声をImg_4238


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