それぞれの価値感
仕事のパートナーであるトーが昨年末から突然出家したままである。突然というのは正しくない。一昨年くらいから急激に大きな仕事を仕切るようになり、まっすぐな創造性だけではすまなくなって、外国を含めた政治的かかわりや複雑な金銭の取引に翻弄され続けていた。昨年会ったとき、「出家して少し心を清めたい。」とは言っていた。しかし、どんなにラオスの価値感に慣れたふりをしている私でも、大きな案件が右往左往している最中にほんとに出家することなどないだろうと思っていた。だが、ラオス人である彼にとって、ビジネスが急上昇している今こそ、心を清めることが重要なのだ。それによってこうむる不利益。つまり次々に降ってきていたおいしい話を断絶してしまうことなど恐れてはいなかったのだ。
まったく連絡がつかないわけではないが、仕事関連の連絡は遠慮している。日本サイドからはふざけるなという声が聞こえるが、ラオスの時間はいけいけどんどんだけでは決してない。彼らの価値感を認めるということに慣れるには、ずいぶん時間がかかった。しかし、かれらの生き方が、時に「まっしぐら」よりずっとずっと美しい輝きを放つ瞬間を何度も見てきた。
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