稲刈り唄が響く。
メッセンジャーの小さなスピーカーから勢いよくラオス北部の稲刈り唄が響いた。うたっているのは、9月はじめに長年育ててきたみかん畑と家畜、住居を大雨によるダムの突発的な放水で流され壊滅したわが親戚村の人々。平地がないため、彼らは米を一番高い山の斜面に焼畑でつくる。その急峻な地形に私はコメの畑にたどりつくだけで死にそうになる。機械を入れるなどもってのほか、総出で人力だけで作業をする。人員が一斉に連動して動くために唄を歌う。家畜やみかんは売るために作るが、米は自分たちが食べるためにしか作らない。それでも明るい元気な唄が聞こえる。「唄がきこえるか?りっぱな米がとれるぞ。おいしい米があれば生きていける。ははは・・」とうれしそうに笑う。米以外、みんな失った。ほんとに何もかもだ!!それでも彼らは元気に稲刈り唄を歌う。生きていければなんとかなるさ。いつでも彼らはそうやって生きてきた。いつでも私は、彼らの稲刈り唄に心をわしづかみにされる。
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