会うということ。
へっぽこラオス語スピーカーである私は、継続しているラオス語講座を現在リモートで受けている。慣れてきたし、まじめに受講しているし、文字を読む機会はむしろ増えているのにコミュニケーションとしてのラオス語能力は確実に低下している。実際にあってコミュニケーションをするということはそれだけなにかが伝わるのだろう。素人なのでそれが何なのかわからない。しかしラオスの聴覚障害の役者たちが来日した折など、ラオス手話ができないのにいつのまにかいっしょに買い物に出かけたりすることが可能になり、どうやってコミュニケーションしているのだろうと逆に思ったこともある。