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リモートによる交流上演の仕事の準備のため、ひさしぶりに頻繁にラオスと会談する。インチキラオス語しかできない私は、空気がよくわからないリモートではますます不安で、話し合いの内容は新分野(リモートや映像)技術のことから 抽象的な世界観まで複雑。ラオスチームは耳が聞こえず筆談も不可のメンバーや民族が異なり普段家族間ではラオス語を使っていないメンバーまでいる。そこで繰り広げられる通訳が通訳を呼ぶような複雑なコミュニケーション。少しづつなんとなくわかってくるのだが、なにがどうやって通じてゆくのか誰にもわからない。言語だけの問題ではない。そもそも概念も異なるのだ。トーと私はツーカーだと思っている人が多いが、内容が複雑だと「ことば」が意味をなさないことがある。トーが最後に「なんだか通じたようです。よくわからないが・・」とラオス手話を行い、みんな手をひらひらさせる(拍手、賛同の国際手話)
本格的にラオスで仕事をするようになって25年になる。少しづつ言葉を学びながら子供たちの情操教育クラスを開いていた。一番初めに覚えた言葉は「雨」「風」「空」「月」「トイレ」それだけ自然との付き合いが濃厚だったということだ。そしてまだ会話がほとんどできない頃から「洪水」という言葉を知っていた。ある日、パントマイムとパネルシアターを駆使して「三匹の子豚」のお話をしていた。電気がまだ来ていない山の村だった。子どもたちは言う「レンガの家はダメだよ!(ご存じだと思うがお話ではレンガの家を作った子豚が正解)洪水でこまる。」ラオス1の大河「メコン」は「母なるコン」という意味。なぜなら雨季に必ず氾濫し豊かな土を野山にいれてくれるから・・つまりそのころ洪水は来てくれるものでさえあった。人々は簡単な竹で編んだ家に住み、洪水が近づいたら身の回りのものだけ持って山に登った。空っぽの家、乾季に渡した竹の橋などはみんな流れて行った。それは毎年おこる当たり前のことだった。子どもたちは言った。すぐ流れていくものでなければだめだ。
今、山の村にも電気が通り、家々にはテレビや冷蔵庫がある。背負って山に逃げられないので、頑丈なレンガの家を建てる。しかし洪水は以前より頻繁になり、規模も大きくなった。洪水ということばがもつイメージが大きく変わっていく。