森の摂理
「ノモレ」国分拓著を読んで深い考えに沈む。以前同じ国分氏による「ヤノマミ」を読んだ時もそうだった。どちらもアマゾン流域に暮らすほとんど文明とコミュニケートしていない民族の暮らしについての本だ。森で暮らしている人々は、野蛮といわれ排除または文明化される方向で世界は動く。しかし私は電気も水道もないほとんど文盲の方々の住む森で短い間だが共に暮らし人生を救われたと思っている。現在もっとも文明化された私たちの世界は複雑で人々は人との関係に悩んでいる。しかし森の暮らしは、日々生きてゆくことに費やされた。そしてそこで獲物も捕らず、収穫にも関与しない私に食べ物を分け与えることがストレートに愛だった。それ以上に言葉によるサービスや複雑な表現はなかった。しかし今までにない充実と愛を感じた。教育や医療を提供できる環境は必要だ。電気も水道もあったほうが良い。だが森の暮らしが人間性を損ねているだろうか?そのころ私の親せきたちはいつも歌い踊っていた。電気が来て、水道ができ、子どもたちは学校に通うようになった。けれども人々は歌うことをやめて金のことばかり考えるようになった。何が良いのか全く分からない。しかし「文明化しなければならない人々」としてアマゾンの森から引きずり出され、「保護」??される人々の悲劇に心が張り裂ける思いがする。
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