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アピチャッポン氏は世界的に有名なタイの映画監督。「ブンミおじさんの森」はカンヌでパルムドール賞を受賞した作品だ。10年ほど前、初日本上演の時、勇んで観に行ってたいへん???であった。なぜ、東北タイやラオスで当たり前の感覚をわざわざ説明的に撮影するのか?と思ったのだ。そのころ私は1年の半分以上をラオスでホームステイして過ごしていた。そのため彼らの死生観やピー(精霊)に関する感覚を私自身が実感として持っていた。しかし3年以上実際のラオスから離れ、命を考えざる得なかった入院手術を経て先日同映画を再見し、納得し、感動した。アピチャッポン氏自身、ルーツは東北タイだが大都会バンコクや外国暮らしが長く、ラオスや東北タイの方々の感覚は知ってはいるが実感とは少し違うのだろう。そして私自身、トーの通訳をしたり、カオニャオシアターの紹介をする際にいつも感じる焦燥感。「この感覚をどのように表現すれば日本で伝わるのだろう・・」と思う気持ちを渾身の映画表現したのが「ブンミおじさんの森」という作品なのだろう。死生観は、理論を超え感覚だ。それは森から離れて暮らしていると薄れてくる。私自身、とても薄まり知っている理屈だけが残っているのかもしれない。
前回書いた「アメリカの挫折」を読みながら、しきりにホーチミン・ルートを想う。初めてラオスに行った1992年。まだ国中がジャングルに覆われホーチミン・ルートは地元で移動する人の重要な道だった。基礎知識はあった。北ベトナムがベトナム戦争中、南側に物資、人員を運ぶためにラオスを通って秘密に作られた網の目のような輸送路。地元のおやじさんが小型トラックの荷台に私など餓鬼どもをのせて疾走するホーチミン・ルート。弱っちい私は悲鳴を上げた。こんなん道じゃねえ!!ジャングルの藪の中を無理やり走る未舗装、がれきだらけ、水浸しの道。しかしこの道は アメリカが戦闘機で空爆する中、たった600人ほどの人々が重機をほとんど使わずに夜に隠れながら、ジャングルに隠れながら、手で作った道なのだ。あまりに複雑で過酷な道だったためアメリカ兵はお手上げだった。ナパーム弾で焼き尽くしても広がってゆく道。現在、ホーチミン・ルートはほとんど残っていないそうだ。あるところは開拓されて開け、あるところはジャングルの植生の中に埋もれていった。
インドシナ半島でおこった戦争(ベトナム戦争を中心に)は過去のことだ。しかしいまだに不明な点がたくさん存在する。この本は現在判明している事実だけを検討した硬い内容の本だ。出版元である「めこん」社長に本をいただいたとき 私なんかに読めるかな?と思った。しかし読み始めると一気にはまった。アメリカのあまりに身勝手、自国の威信などのために爆撃され、闊達な経済力で一部勢力だけが買収され、都合が悪くなると切り捨てられ、多数の犠牲者がでるのは乗り込まれ干渉された弱い国だ。概略は知っていた。しかしジャングルの中で行われたさまざまな侵略や陰謀の真実、どこでだれが何のためにおこなったかは、40年以上たっている現在でもまだ正確にはわからない。だからアメリカは今でも後始末をしていないし、その後アフガニスタンやイラクで同じことをやっている。そしてやはり多大な犠牲を払いながら最後はうやむやになっている。現在ウクライナ侵攻でロシアが世界中に非難されているが、アメリカはもっと理不尽で残酷なことをインドシナで展開していた。しかしアメリカ側の友好国である日本では真実などぜんぜん報道されていない。