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昨今 辺境の民族や彼らの儀礼をとりあげた映画がやたら多く、フィクションだけどヒット中の「シンウルトラマン」にもレヴィ・ストロースの「野生の思考」が出てくるらしい。(見ていないからどのように出るのかわからないが)ドキュメンタリー的映画では、パンフレットなどに著名人がやたら「私たちが忘れてしまった野生を今こそ取り戻すべきだ」的なメッセージが乱立。しかし、危険もにおいもない興味深いところだけ(中には都合の良い所だけ)撮りの作品でそれを言うのは危険である。私は思う。一番の違いは、「死生観」と「殺」に関する思考だ。常に死をまじかに感じ、常になにかを殺さなければ生活が成り立たない人々の死生観を我々が受け入れるには高いハードルがある。
あるfacebook投稿によると中国がラオス内の河にどんどん巨大な橋を建設しているため、渡し舟が消失しそうだということだ。大河メコンを渡る巨大筏、ラオスに惹かれた要因のひとつにこの渡しがある。渡し場の河原にすわり人が集まるのを待つ。乗り込むとゆっくりを動き始める舟。川面は手の届くところにあり、風が吹いている。あの短い時間はいつも至福の時間だった。投稿したのは渡しを使わないと村から出ることができないラオス人の方。橋の方がずっと便利だろうに彼は渡しがなくなることを静かに哀しむ。トーといつも話すこと。便利になることで感じられなくなる小さな幸せなひと時。みんなでご飯を食べたり、火をおこしたり、ニワトリを追いかけたり、そのひとつひとつに生きている実感がある。渡し舟は気まぐれに就航するので、もし会社員ならしょっちゅう遅刻することだろう。以前、劇団メンバーは1~3時間遅刻するのが当たり前で私はいつも怒り狂っていた。でも彼らはそんなことひとつも気にかけなかった。これからラオスも遅刻者が減るだろう。しかしあのゆっくりと河を渡る渡し舟がなくなってしまうこと・・泣きたいほど哀しい。