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友人が台風直撃時に静岡に仕事で滞在しており丸一日停電と断水に直面。かなりたいへんだったようだ。現在、私達は何から何まで電気に頼って生きている。なので停電はたいへんだ。ラオスの親せき宅、頻繁に行っていたころ電気も水道もはじめからなかった。そこに最大3週間滞在。調理は薪だし、冷蔵庫はないという前提で毎日食料を調達するし、夜になれば簡易ランプのほのかな明かりの中で歌い、演奏し、踊って過ごすのであまり不便ではなかった。しかし、水はたいへん。家は小山の上にあり、川は下。そこから水を汲んで天秤棒でかつぎあげる。これは調理に使い、洗濯や身体を洗う(手を洗う)などをすべて川まで下りる。ちょっと手を洗うとか歯を磨くにも山を下り、登る。水道がないのはほんとうにたいへんだった。いまだに私は断水の方がこわい。
ラオスにしばらくいると雨の気配がわかるようになる。周囲の植物たちがいっせいに濃厚な雨の香りを発してそれに気がついたころ不穏な風が吹き抜ける。これは別に高い能力がなくてもはっきりとわかる現象だ。そしてラオスのわが友はみんな家族や友人の死の知らせを「受け取る」相手が日本人の場合、私が関係者から連絡を受け取るより早くラオスから連絡が届いてしまう。大切な人の死を夢で見てしまうのだ。一人暮らしのわたくし・・きっと孤独死して一番最初にそれを知るのはトーだろう。その時どうするか打ち合わせ。Facebookに片言の英語で「あさぬまが亡くなったのでだれか見に行ってください。」と広報する。それしかないよね。と言い合う私達。ちょっと・・なんだな。
11月のラオス行き航空券を買った。ラオス田舎の親せきに言う。彼らは今から11月のことを考えるのが苦手。ぽかんとする。そして「今」のことを言う。「月がきれいだ。観においで!!」田舎はジャングルの中の村なので、さすがに現在電気はあるが、使用料は少なく夜一歩家を出ると真っ暗。いつも月を観ていた。川に映る月、森の上に出る月。9月北半球の月が一番美しい季節。時期はズレるけど、月を観に行きます。